言語化しにくいもの「スピッツ」
私はスピッツがとても好き。
特に初期の『スピッツ』『名前をつけてやる』『惑星のかけら』なんかはめちゃくちゃ好き。
スピッツは共感の音楽だと勝手に思っている。聴くこちら側の置かれている状況だったり、年代だったり、自分の変化についてきてくれる。昔は好きやったのになぁ……がない。いつ聴いても新しい発見があり、そうだよね、という納得と共感がある。たまに勇気づけられたり?これはあまり無いけど(笑)ただ、静かに寄り添ってくれる音楽。
ひょっとしたら、個人が好む音楽とはそういうものなのか?でも、昔はよく聴いたのに今はそれほどでも……というアーティストも現に存在するから、やはりスピッツは特別だと思いたい。
でも、具体的にどこが好きなのかうまく言えない。歌詞、曲調、バンドとしての雰囲気……うん、みんないいよ。いいけども……どれをとってもいまいち芯を食ってない。
彼らの音楽に出会ったのが、中高生の頃だったということが関係しているのかもしれない。
多感な時期に聴く音楽というのは、かなり特別な意味があると思う。よく、青春時代に何度も聴いた音楽は一生聴き続ける、というけれど、確かにそうかもしれない。
もし私が青春時代に出会ったのがスピッツではなく、くるりだったら、今一番よく聴いているのはくるりなのかな。いやくるりも好きやけど。でも気がついたらいつも聴いている、という位置にはいない。
強いて言うなら、草野正宗が書く歌詞は普通でない“なにか”が宿っているように感じる。
捻くれていて、あまのじゃくで、内気で、でも内部に激情をかかえていて、それをどうにか吐き出したくて……伝えたいことは愛、生命、死……、どれもクソ重いことばかりで、照れちゃうけど……でもやっぱり言いたい、みたいな感じ。(意味不明でごめんなさい)
以前なにかで読んだ。
スピッツのボーカルの草野正宗が、歌詞を書くというのはどういうことですか?とインタビューされて、
「機を織る鶴のように、秘めやかに行われること」
と答えていた。正確には覚えてない。こんな感じ。きっとこの人は、普通の人が向き合うよりもずっと、ことばについて真剣に、多くの時間をかけて考えているんやろうなって思った。そして、苦しみながら一人で『創造すること』に向き合っているのでははいか。彼の孤独を、このことばから垣間見た気がした。全部勝手な妄想ですが。
そして同時に、インタビュアーが他のメンバーに、もし草野さんが曲を書けなくなったらどうしますか?と尋ねたら、メンバー全員が異口同音に
「書けるようになるまで、待つ」
と言った。
この美談は本当なのかわからない。(おい)
私よりも過激なスピッツファンの妹の作り話かもしれない。メンバーの仲の良さを強調するエピソード……?
でも、これがもし本当ならちょっと感動する。
とにかく、明確に好きな理由を言語化できないのは、とてももどかしい。なぜなら、自分が好きなものを他人に伝えたいとき、それはことばによってしか伝えることができないと思うから。
ふとした瞬間に、この感情にはこのことばだ……と思い浮かぶ瞬間がある。でもそれは浮上したと思ったら、次の瞬間にはすぐに思考の渦に飲まれていく……。不幸なことに、そのふとした瞬間がよりにもよって風呂入ってたり、皿洗ってたりして、すぐメモを取れない状況のときやねんな(笑)
「.一生に二度とは帰ってこないいのちの一秒だ。おれはその一秒がいとしい。ただ逃がしてやりたくない。何とかしてとらえたい」
本当にこれ。状況も意味も違いすぎるけど。啄木さんと違って病気でもなんでもない健康体そのものやけど。でも、待って、行かないで……!と叫びたい瞬間が、けっこうある。
最近気づいた。なんでもいいから読んで、書く、一番手軽なのは映画とか小説のレビュー。そうすると、つかまえられる瞬間がある。求めていたことばを!
……低次元なことを吐きまくって、とても恥ずかしくなってきました。でも書いたことは本当に思っていることやから、どうしようもないですね。(諦め)
訓練を積めば、もう少しマシな文章を書けるようになるかな。そう信じて、ここに駄文を晒します。すみません!